
栃木市は明治初期には県庁所在地であった。古くは江戸とを結ぶ舟運(利根川、渡良瀬川を経て巴波川に至る河川交通)の町として、とくに、徳川家康の没後、日光東照宮の造営がはじまると資材や職人が船でここ栃木まで運ばれた。陸揚げされたのちは陸路にて日光まで運搬された。このため、交通の要衝として、さらに、江戸に運ぶ地域の産物の集積地として発展した。また、東照宮造営後は天皇の使者である例幣使が日光と京都を行き来する街道(日光例幣使街道)の宿場町としても栄える事となった。このため、隆盛を極めた商人の店蔵、土蔵が今でも多く残っている。この写真の蔵は土蔵ではなく、大谷石でできた石蔵であり、明治後期もしくは大正時代のものと思われる。赤い鎧扉が印象的であったので、この部分を手前の芽吹いた木とともに切り取った。
撮影データ:EOS40D Carl Zeiss Planar T*1.4 50mm 1/40 f/7.1 ISO200 絞り優先AE
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